当院の生い立ち

腎研クリニックは、日本や米国に於ける透析治療の黎明期(れいめいき)を支えた大島研三先生が中心となり1976年に設立されました。

文字通り、腎研クリニックは腎臓を研究するクリニックとして大島先生が命名されたものです。

「腎臓の病気を研究するのでは無く、腎臓そのものを研究する病院を創りたい。病的な腎臓のみでは無く、健康な腎臓の形態と機能も研究するそんな病院を創りたいんだ。」

大島先生のそんな考えが当院の礎となり今から46年前、日本の高度成長期時代に設立されました。

透析治療は一生続けなければならない治療だと言われています。しかし大島先生はより研究を進め、いつの日か透析治療を行

なっている患者様も腎臓移植することなく腎機能を復活させられるような治療が必要だと今から50年以上前に考えられていました。

大島先生のそのDNAは現在の院長金澤武道医師にも引き継がれ、研究を続けて行なっています。

金澤医師は弘前大学をはじめ多くの病院で8,000人以上の脳梗塞患者の治療に携わって来ました。

金澤医師の治療は血管を活性化する治療であり、弱っている血管を元気にすることによって死んでしまった細胞を補う力を発揮させるという画期的な治療方法です。この治療方法を透析治療に応用し弱った腎臓を元気にする方法は無いかと現在も研究が続けられています。

1976年 腎研クリニック(透析診療所)
1985年 一般内科(外来)開始
2009年 泌尿器専門外来開始
2017年 医療法人化 医療法人社団腎研クリニック
2018年 脳梗塞点滴治療を開始
2019年 沖縄県中城村にタンパク質研究所を開所
2020年 オンライン診療開始
2021年 脳血管内科を設置
2021年 フィリピン ミンダナオ島にタンパク質第2研究所を開所

大島研三の言葉

「高田馬場 腎研クリニック」

故 大島研三

戦後の日本、それは永久に戦争を放棄し、平和で、心豊かな国土を作るという理解に向かって歩き出したことは、皆さんよくご存知のことです。

透析療法も又その一環として出発しました。

思い出すのは、腎研クリニックという名称で、設立同時すでに、診療所名に、臓器の名前を禁止されていたにも拘わらず、腎という名称を使うことが許されたことです。

もともとは国立腎センターを作りたく、八方努力していましたが、国立循環器病センターが出来る事になって、当分は国立のセンターは作れないとの勧めに従い、当腎センターを作ることになりました。

臓器名を診療所名に使うことは、禁止されていましたが当クリニックの設立のいきさつに基づいて、特例として許可になりました。

もうひとつの思い出は、確か設立20周年記念のとき統計を取ったのですが、その結果当クリニックの患者さんの平均余命は、国民全体の余命を上回ることでした。

つまりそれは、当クリニックの透析患者さんは、一般国民よりも長生きするという喜ばしい結果でした。

すべての職員と患者さんが一致して、益々の成果を期待する次第です。

大島研三 略歴
明治40年(1907年) 名古屋市に生まれる
昭和6年(1931年) 東京帝国大学医学部医学科卒業
昭和13年(1938年) 東京帝国大学にて医学博士の学位を授与される
昭和28年(1953年) 日本大学教授に就任
昭和34年(1959年) 日本腎臓学会理事長(初代)に就任
昭和50年(1975年) 日本循環器学会名誉理事
昭和50年(1975年) 日本大学名誉教授
平成20年(2008年) 「こんなに長く生きる予定では無かったが生命を完遂したよ」の言葉を最後に永眠。享年101歳


昭和45年(1970年) ベルツ賞受賞。腎の免疫学的研究に対して
昭和51年(1976年) 藤井人事院総裁より感謝状を受ける。23年間公務員の人事行政の推進にこうけんしたことにより
昭和52年(1977年) 第一回腎研究会賞受賞
昭和53年(1978年) 日本医師会最高有功賞受賞
昭和57年(1982年) 勲二等瑞宝章を授与される